ハニー社長の学びと気づき
2026.07.14
アナログ経営の落日 ― 浅井長政に、次の時代は見えたか?

先日、豊臣秀吉が最初に築いたと言われる長浜城へ、愛車のElena(テスラ モデル3ハイランド)でぷらっと一人出かけた。
朝9時前、その日の一番客だったので迷わず天守最上階へ上る。
長浜市街と琵琶湖を見渡す見事な景観だが、目を凝らすと小谷城、賤ヶ岳、彦根城、安土城まで見える。
関ヶ原もすぐそこだ。
長浜という土地が、戦国当時どれほど重要な物流拠点であったか。
美濃や越前から畿内へ抜ける、貴重な要衝であったことが、体で分かる場所だった。
その足で、小谷城の麓にある戦国歴史資料館を訪ねた。
今回の主役は浅井長政である。
長政といえば、織田信長の妹お市を正室に迎え、義兄弟でありながら越前の朝倉と手を組み、金ヶ崎で信長の背後を突いて裏切った。
そう教わってきた。
だが、経営者としてこの判断を追体験すると、私はどうにも引っかかる。
人はそんなに簡単に、義兄弟を裏切るものだろうか。
日本史ではこういう見方はしないだろうが、私はあえて中小企業経営者の目で見てみたい。
長浜から資料館へ向かう道すがら、目に入るのは羽柴でも豊臣でもなく「浅井」の名だった。
地名も、看板も。
調べると、浅井家より先に浅井郡があり、その土地の名を名乗ったのだという。
今も”長政”の祭りが続くほど、この一族は地域に根を張っていた。
ここに、経営者としての読み直しの鍵がある。
安土桃山の頃、日本海貿易は盛んで、越前は栄えていた。
朝倉の一乗谷が「越前の小京都」と呼ばれたのがその証だ。そして畿内へ抜けるルートとして、長浜は欠かせない。
朝倉と浅井は、いわば持ちつ持たれつで、コンテンツと流通の両面で利益を分け合っていた。
お互いに既得権者である。
そこへ、武力で「畿内の物流はすべて俺が仕切る」と現れたのが信長だとしたら、どうだろう。
既得権で潤い、地域へ還元し、それなりの文化と暮らしをリーダーとして支えてきた。
その仲間がコンテンツを取り上げられ、自分には「雇ってやるから安月給で辛抱しろ」と言われる。
嫁の兄であろうと、それとこれとは別の話だ。
社員も、その家族も、取引先も背負っている社長が、はいそうですかと頷けるはずがない。
徹底抗戦!
そうなっても、私は何もおかしいとは思わない。
だから、長政の裏切りは、私には裏切りに見えない。
同盟相手を守り、既得権を守る、経営者として真っ当な判断にすら見える。
ただ、そこから先に、経営者としての限界も見えてしまう。
同盟に依存することの危うさだ。
時代は変わる。
同じ状況は続かない。
現代でも企業の寿命はせいぜい50年、情報が溢れる今はもっと短いだろう。
経営者がしがみつくコンテンツの寿命と、経営者自身が第一線で戦える感性の寿命。
この二つが切れたとき、会社は終わる。
浅井家は同じコンテンツを三代続けた。
大したものだ。
だからこそ地元の名士たりえた。
だが、その「変わらなさ」こそが、落とし穴だったのではないか。
時代が変わることを、長政は予想していない。
布石を打っていない。
日本海の物流構造が信長という一点に集約されていく流れを、読めていない。
若きカリスマと称えられる人だが、経営者の目で見ると、情報力に欠けた経営としか映らない。
既得権で毎月決まった売上が入る。
外から見れば羨ましい。
だが現代に例えれば、メールもネットも使わず、通信はFAXだけ、紙と鉛筆が頼りのアナログ経営だ。
楽な分だけ、外の変化が見えなくなる。
他に打つ手はなかったのか。
心底睦まじかったお市と、後に自らの血で歴史を動かす娘たちを手放してまで、なぜ滅亡へ向かったのか。
同じ時代を生きた真田の、大勢力に対する身の処し方とは、あまりに違う。
大企業からのM&Aへの向き合い方として、少々もったいない。
さて、御社はどうだろう。
毎月決まったように入ってくる売上の裏で、その取引の構造そのものが揺らぐ気配を、掴んでいるだろうか。
今のコンテンツが、5年後も同じ重みを持つと言えるだろうか。
そして、先を妄想するのに、一人である必要はない。
むしろ、社内にいない「外の目」こそが、自分では見えない次の時代を映す鏡になる。
長政の同盟は、苦しい時に共に戦う仲間ではあっても、外の変化を教えてくれる目ではなかった。
馴れ合いの仲間と、耳の痛いことを言う相談役は、違う。
いつの時代も、生き残るのは先を読む・・・いや、先を妄想できる経営者なのだと思う。
天守から関ヶ原の方角を眺めながら、そんなことを考えた。帰りのElenaのハンドルは、いつもより少し重かった。
著者:埴岡雅則
IT導入診断士 / DX学校神戸校講師
身の丈ニッチ戦略で伴走支援します。
